2011年4月17日日曜日

プチアリン協奏曲☆

こんにちは、べっぽです。
ファスティング、我慢できなくって結局6日目に、ドライプルーンわさー食べちゃって もーダメねー。
しかも「運動しなきゃ」と思ってウォーキングしたら、日光で肌が爛れてしまって 治りは以前よりも格段に早いけれど もーダメねー 帽子買わなきゃ!!

断食すると、思考がクリアになります。
なんとなく手に取った本や、出合った人から、すごく大事な情報を貰ったりするんです。

それで いつも出てくるのは、カイロプラクティックの先生が追求してくれた正しさが、今の私を支えてるっていうことだけで。
ごめんなさい、他の方にも大切なものは頂いてるけど、カクシンがないの。

私は あんな風には生きたくない、カイロプラクティックは私の仕事じゃないって その時思った。
だからベリーのスタジオにも、マクロビオティックの教室にも出会えた。

でも、カイロプラクティックが無いなら 何も意味なくて。
苦しくて 心が見えない。
どんどん見えなくなる一方で、もう本当に誰にも会いたくない、不安をぶつける以外に今の私に出来ることなんか無いから。


先生が 体からすっかり消えちゃったら、どうやって生きたらいいのかわからない。
偽物でも、気持ちがあれば良いんだって 決断したのは私なのに。

時間が経てば、消えて無くなる物の多いこと。
愛だけは消えないから、それに応えられない自分の情けないこと。
体が忘れてしまったの 彼が愛してくれた時のようには動けない。

あの感動の中で、あれは私の仕事じゃないって悟ったんです。
私は 不器用な彼を、死ぬまで支えて カイロプラクティックをより多くの人に受けて貰えるように笑顔で多くを受け入れようって 思ったんです。


先生を補って生きたかった 彼の為なら、別に好きでも何でもないバカ息子とも付き合えた
私が持ってるすべてを使って 先生が望むことを叶えたいって思った。

だから あのバカのアジャスト受けてみたかったんだけどなぁ。死んでも良い、あたしはその為に生まれたんだと思ったし、今も少し思ってる。
あのバカが動いたら 私の役目は終わりだろうって。

痛みを訴えても、始終不機嫌な顔してみても、褒めてみても、何しても全然動かなくて。

親の愛ってのは 伝わりにくいものなんだなぁと つくづく思う。


そうじゃないなら 素直になるから、
違う人でも もう良い もう一度、カイロプラクティックに愛されたい。
叶うなら何でもする、他の物なんか何も要らない。


私の命を知りたいだけなの。
どれだけ求めても いつも、最後の最後に逃げられる。

外じゃないの、内側に広がる世界を、もう一度見たいだけなの。


多分 麻酔がいけなかったの。あたしの本質は あの時消してしまったの。
痛くて良かった つらくても良かった どうして私は逃げたんだろう。

小さな体で呼び続けてくれたのに、全部無常に振り払ったのは私なんだ。
あたしなんか 女じゃない。人間ですらない。
同じ痛みにまた出会ったら きっと償える。


忘れてしまった痛みが どれだけ求めてももう届かない。
私の中にあるのに どうして届かないの。

何が死んでしまったの、小さ過ぎてわからない。
本当に生きていたのか もうわからない。
確かなことは 感じられることだけで 今の私は それが出来ない どうしてだろう。


苦しくて 生きてる実感すら持てないの。

ここまでなるとは思ってなかった どうして あたしは何の為に 誰の為に生きてるの。
わかってるようでわからない 彼は私を求めていない。

どうして私が死ななかったんだろうか。小さいほうが 弱いほうが 死ななきゃいけないなんて、一体誰が決めたんだ。


社会って何だ ばかやろう。

2 件のコメント:

  1. お元気ですか?
    あれ以来たまにフォローしております
    最近更新がありませんね?HK

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  2. こんばんわー 更新は、長くなりすぎて来るたびに削って・・・

    ネットカフェだからお金もかかるんですよね。色々あるんです。私にも。ははは。

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