2011年2月23日水曜日

一片の悔い無き人生を。

こんにちは、べっぽです♪

今日も朝から元気に散歩!
朝日が昇るのを待って、地球のエネルギーがグラグラ動くのを感じる時間は、写真にも撮れない私の宝物です!!

言葉にすると、チープになっちゃうかもしれませんけどね。


言葉、私はこれが大好きです。
感じたものを、感じたままに、人に伝えることが出来るのは、言葉があるから。

だけど、伝わらない事がよくあります。
悲しいけれど、言葉は「左脳」が生み出すもので、論理的だったり、デジタルなものという認識が一般にはされるようなんですね。

昔から、感動を伝えるような素晴らしい歌が詠まれ、語り継がれているのに、古い物には目もくれず、言葉をただ意味を伝える為のツールだと教え込むのは、とても悲しい事だと思います。

音楽だけが歌なんでしょうか。


宗教。古今東西 色々な教えがありますが。
私は大きな3つの宗教しか存じません。新興宗教などには興味が無いからです。


キリスト教は、古くはローマで国教とされましたが、今は多くの派閥に別れてしまっています。
聖書は共有されているんでしょうか?
教えを守る目的は、何なんでしょうか?

わからないので、私は信仰していません。牧師さんに聞いても曖昧でしたし。

キリスト教は、権力者が編纂してしまった為に、聖書の原本が残っていないそうです。
福音書が書かれたプロセスも曖昧で、真実味に欠けるのはその為でしょうか。
聖書は、宗教の教科書のようなものでしょうから、教育が洗脳に変わっていったんだろうなと、勝手に妄想しています。
まるで戦後日本ですね(笑)


仏教は、有難いお話を聞けて、とても楽しいです。
しかし、講師の方は「仏教は釈迦の教え」と熱く語りながら、一生懸命親鸞聖人の教えを説いてる事もしばしば…。

ニーチェの言葉を借りるなら、「事実など存在しない、ただ解釈があるだけ」と言うことでしょうか。



職業も色々あって、その存在意義も様々なのですが、仕事にする以上、目的と理論がチグハグなのはいやですよね。
詐欺師になんか、誰もなりたくないんですから。

だから、どんな世界でも、権力者が情報操作するのは本当にやめて欲しい。
用語の定義が変わること自体が問題でなくとも、その意義は隠さないで欲しいんです。


人のためにと頑張ってきたなら、どれだけ副産物のゴミを創ったとしても、その過去は全て宝物に変わって、そこからまた頑張れると、私は思ってます。

理論が体に染みついて、初めて「技術」って呼べると思うから、それを持つ人にしかわからない事が沢山沢山あるんじゃないでしょうか。


今は高齢化社会です、日本は宝の山です。

予防医学が更に広まれば、もっと寿命が延びて、素敵なおじいちゃんおばあちゃんが益々増えていくと思います。


だから、若い私は、たくさん学んでたくさん動ける体が欲しい。
その為に必要なものを、選択して取り込むんです。

無意味な無駄を卒業したら、人生は随分味気ないものになったけど、忘れていた大事な物が輝き出すまで、辛抱しようと思います。

結局、まだまだ抜け出せてはいないんですけどね。

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