2011年11月14日月曜日

読経☆

こんにちは、べっぽです♪
今日は母の薦めで、今の仏壇?でロウソクを灯し、線香を立て、お経巻をあげていました(^-^)
うちの母は日蓮宗なので、南無妙法蓮華経です☆

途中までは言葉が理解出来るので、歌うようにとても気持ちよく読めるのですが、途中から意味が全くわからなくて、区切りも大分間違っていたようで母に突っ込まれてしまいました(笑)


意外と良いこと書いてあるんです☆



気に入って覚えているのは、

有為を求める者には、無為の心を成さしめ

だったかな。(おこらざさしめ、かも)


結果よりもプロセスを大事にしなさいっていう意味かなと思うんですけど。

「何のため」がハッキリしない行動が、許せない私は、無為の心を持たなきゃなって思いました。

そんなことなくて、とりあえず生きるのに必死だった私に戻れたら幸せな気もするけど…

そんな時分、私は本当には幸せじゃなかったから、「何のために」っていう感覚を持った時に、物凄く感動したんだと思います。


幸せのカギは教育だって言うのが私の持論です。

ルールを破ることで刑罰を与えるのか、守ることで希望を与えるのか、それを明確にすることが教育の前提だと思います。


でもそれは、言葉にしなくても子どもは本能で感じ取るものでしょう。

欲を隠したり、誤魔化す親ならば、子は、知らず知らずに犯した過ちを自覚するにつれ、罪悪感を抱くようになると思います。

欲に忠実に生きる親ならば、子は、自分自身の心の声を頼りに生きていくことが出来ると思います。

大事なのはバランスだと思いますけど。



死んだあとも、誰かが仏壇に向かってお経を読んで心が晴れる、そういう連鎖があるからあそこの宗教団体との繋がりを絶たないって母は言ってました。

スッキリしない時は人と話すと迷惑をかけるから、お経読んでろって。


個人の在り方も大事かもわかんないけど、こんだけ、引き籠もってても何となく生きていけちゃう世の中では、法律をもっとちゃんとしていくことが、個人の能力を活かす社会作りには先決じゃないかなぁと、いつも思うんですよねぇ。

私もちょっと外に出て見たら、やっぱり「ばかやろー てめぇ このやろぉ><」とか思うこといっぱいあって、理屈より実践が大事だなって思うこと多かったですけど。

論より証拠じゃ、やっぱり、社会主義に傾き過ぎちゃうと思うんですよねぇ。

政治で有言実行しようと思ったら、国民の協力が不可欠だから、もう国民のみなさんは首相の一挙手一投足を報じるマスコミに躍らされたらイカンですよ。

それぐらい大らかにならなきゃイカンですよ。

現状なんか、誰がピエロになるかってだけで、内閣が代わってもどうせ大差ないですから…。

希望を失っちゃいかんですよ、日本人ですもの。日本は愛の国ですもの。



あ、今日久しぶりに庭の土耕してたら、何か土壌がめちゃ良い感じになってて、トマトとかナスの木も壊して肥やしにしてきたので、また春に何か種まきしようかなっと思います♪

来年こそ、自家製ハーブティ作るのだ☆

今日は大きい人参と小さい人参収穫です(笑)

小さいから収穫しないで畑に転がしておいた玉ねぎちゃんも、腐らず結構大きく育ってたんですが、、、これは食べられるんだろうか(笑)

食べてみます☆

畑ってすごいね、あたしゃネグレクトしてましたが、みんな結構生きてました(笑)

美味しかったら、お母ちゃん許して貰えたって思っていいかなと思います。

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