2011年5月27日金曜日

葉っぱと虫と。

こんにちは、べっぽです。
先週の上部頸椎の検査では、ズレてなかったのでアジャストメントは受けられずに帰ってきました。

体のバランス、3ヶ月前とは別人のように良好でした。
データが残っているので客観的に見れるし、先生わかりやすく解説して下さるし、面白いです(´ω`*)

否定してた物(整体やマッサージ)が素晴らしい結果を残してくれたことも、全てが愛で出来てる事を再確認出来て感動的でした。

フルスパインが交通事故とか言ったの誰だ!
マッサージは過刺激だとか言ったの誰だ!

私だ!もう洗脳しないでくれ~(@□@)
「先生」って呼ばれる人は、自分の言葉や行動の影響力を自覚して頂きたい。あたしなんかバカ女ですから、酷いもんです。
見りゃわかるでしょ、相当ですから!!

去年、初めて第一頸椎の調整受けた時は、感受性が甦ったとでも言いますかね。
25年分の感動が一気に湧いて出てきて、それを繙きたくて仕方ない衝動に駆られてしまったんです。

最高のサカナになって、一流の職人に活かして貰えたようでしたが、いつまでも 素材のままでは いられない。厳しい現実です、ぐだぐだ言ってねーで、やりたいことやんなさいよ自分って感じです。

やりたくないことは、やりたくないって言えよ、とも思います。反省。

今日も素敵な一日でした。
難が有るから有り難い、ですって。
私の人生は、本当に有難うがいっぱいねって、でもいつも甘い人にばっかり張付くから気付かないんですけれど。
「あーしろ こーしろ」って言う人は、甘いですよ。責任能力も無いし。

私が信頼する人は、「こうすると良い」ではなくて、「私はこうやってきた」って言ってくれます。
私が思う一流の人ってみんなそう。教えるのは、一流になってからじゃなきゃダメだろうと思うんですが、今は明治維新くらいゴタゴタしてますから、死んでから「こんな風に教えた人も居たのか」みたいに繙かれたりするかもしれない。

畑に居ていつも考えるのは、野菜を今抜くか、明日抜くかってことなんです。
抜いたら「死ぬ」けど、その時には彼女がエクスタシーを感じてくれていないと、わたしが上手に貫けないのではないかと。

カイロプラクティックでも、アジャストメントのタイミングって凄く大事だそうです。
一瞬の絶頂が、永遠になっちゃったらシラフじゃないけど、人生一度はそういう時期が必要な気がするのね。
若いうちって、全てを遮断して二人の世界に浸りたい時期が絶対あるでしょう。
セックスして、ままごとみたいな同棲生活。ずっと続いたら危険です、家から出たら宇宙人ですからね。専業主婦の社会復帰だって、浦島太郎くらい周りはやりにくいもんですよ。

生きるって、刹那の悦に出会った瞬間を感じることだと最近思うんですけど、そこに辿り着く為には、学ばなきゃいけない。

私は英語の歌が好きで、何でかって言うと、あれは体感の後に理解が来るんです。
英語なんか話せないから、良い歌は歌詞カード読んで和訳読んで英語の辞書引いて「あーこんな気持ちを歌ってたんだ~」って理解して、そっからまたカラオケで歌うっていう。
何度も歌ううちに、色んな遊び方を覚えてって、また新しい感動がある、その繰り返し。
脳に快楽もストレスも必要なのは、現状維持に偏りすぎても、絶頂を求めすぎても良くないことの表れなんじゃなかろうかと。
今の自分に必要なのは、宇宙か大地か。自分の立ち位置を見極めることで、向かう所が見えてくる、そんな風に最近思うようになりました。


ともあれ。恋したいなー。
世の中は畑の延長でしかないから、一緒に楽しく畑仕事やれる人が居たら理想だけど、メカニズムを解明して自分なりの科学を持てる人じゃなきゃ支える甲斐もないだろうと。

科学って、自分の目指す「絶対」を持つ事だと思うんですね。
こうなるんだろうって仮説を立てて、証拠さえ取れたら立派な理論です。データが無ければインチキです。理論が無いのもイカサマです。

久しぶりにPC使ったら眠くて倒れそうです。おやすみなさい ぐう。

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