2011年7月22日金曜日

文化と風俗☆

こんにちは、べっぽです♪
台風も無事過ぎましたが、一体全体「無事ってナンだ」と思う今日この頃でございます。

昨夜は一社の素敵なおすしやさん「すし八丁」さんで、心温まるひと時を過ごさせて頂きました(^-^)
とっても心優しい大将は、色々なことを教えてくれます。
昨日はお話の中で「おすしは、世間が言うように立派な物じゃなくて、何でも好きなもの乗せて楽しめば良いんだよ」と仰っていたことから、布団に入っても色々考えちゃいました。


イデオロギーって言うのかな、戒律ありきの美しさを持つものが文化だと、自分は定義していたんですけれど、私にとっておすしは文化なんですよ。
でも、「楽しければ良い」っていうのは、私にとっては風俗なんです。根底に自然科学と共存出来る教えがないんですよね。

だけど、おすしは文化だと思うんです。悶々。
またやっちゃってます~、もう病的です私の考え癖は。どうしようもないねぇ。


話し変わります□■□■□■□
先日また親友とお昼を食べに行って、彼女は教職に就いてるので価値観なんかも深くて自分の仕事に誇りも責任も持ってて大好きなんだけど、私は昔から「教員」ってやつが大嫌いで、話すほどに彼女がそこに近づいていくのがありありと見えて葛藤することもよくあります。

学校での評価が子どもの将来を決定付けるとは私は考えていないけど、教師から受けた扱いが精神に及ぼす影響は考えて教育システムは構築されるべきだとは思います。

不当な扱いの代表格が、すべての評価基準がデジタルであることです。
私が言うデジタルは、言葉や記号や数値など、全ての人が共有できるデータのことです。

データから、その作成者以外の人間が受け取る情報がアナログだと思っています。
感情だったり感動だったり、何かしらの刺激が発生する筈なんです、本物はそういう物だと思うんですよ。


だから、同じものでも本物になる瞬間と、偽物になる瞬間があるんだって思うんですね。
「意味がわかんないくらい美味しい」ものって、あるでしょ?
全部理解できちゃったら、感動が無いんですよ。

感動を生むには、体のコンディションがばっちりじゃないといけないので、世界を本物に変えていくために、すべての物が生まれたことを無駄にしない為に、毎日元気で居る必要があるんだなぁ~と、最近つくづく思います。
(小さいときにミヒャエルエンデをよく読んでいた関係で、私の脳内では植物も動物も人工物も意思を持って言葉を発してるように感じることが多いのかもしれません。危険ですね)


ともあれ、みなさん、感動体質になってください☆
はい深呼吸~! 吐いて~吸って~吐いて~~~~~~~~


すし八丁さんの応援ブログもあるそうです♪
私の理想のご夫婦のうちの1組です、ちーさん可愛い!

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